日本は読み手に、欧米は書き手に、能力を求める
hisashim: [Book][Reading] 本嫌いの人が持っている間違った認識
コメント欄でも指摘されているが、このエントリーのタイトルの付け方は良くない。「なぜ、本を嫌いになるのか」ぐらいでいいんじゃないだろうか。 それはさておき、「日本の国語教育に問題がある」という部分には同感。日本の学校は、英語教育云々を議論する前に、日本語で自分の考えを正確に表現する方法を教える事を検討するべきだと思う。 僕自身の経験に照らし合わせても、国語の授業には辟易する事が多かった。特に、高校の現代国語の授業にひどい思い出がある。 「作者は、ここにこのような文を入れる事で、何を言おうとしたのか?」 なんて、教師に聞かれても、「知らんがな」としか、僕には答えようが無い。 ところが、文系の奴らは、したり顔でそんな質問に答えたりしているわけだ。それ自体が、スポーツの解説者を見てるみたいで気味が悪いのだが、さらにひどい事に、教師がその答えに対して正解、不正解を言い渡すわけだ。 アホか 別に読書に限った事ではないが、日本人は受け手に能力を期待する事が多すぎると思う。いいたい事が伝わらないのは、受け手側の能力不足のせいだと言わんばかりだ。国語の時間でも、ひたすら読む訓練ばかりさせられて、書く訓練はほとんど無いと言ってもいい。 これが、どうやら欧米になると逆転するらしい。学校では、子供たちは徹底的に文章の書き方を始めとして、自分の意見を他人に性格に伝える方法を鍛えられる。文章の書き方も、レトリックやテクニカルライティングといった独立した科目になる。 僕自身、卒業論文で”テクニカルライティング”と言ったものを自覚したときに、「如何に自分に作文力が無いか」という事を実感して、愕然としたものだ。他人に自分の考えを理解してもらうためには、自分自身の文章力が不可欠なのである。読み手に期待するべきではない。今の日本の国語教育は、書き手に甘えを許してしまうような危険性があるんじゃなかろうか? さて、最後に問題。僕はこのエントリーで何を言いたかったんでしょうか?(笑)
by fkmn
| 2006-06-15 23:26
| 日記
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